「本は読んだらすぐアウトプットする!」感想

インプット・アウトプットをやめてしまったら話せなくなっちゃうんだ,と気が付いたこともあって、どんな時でも情報を入れ続けたいと思ったので本の読み方を学ぶことにした。

理由は今後たくさん読んでいきたいなら先人たちが効果的だった本の読み方をまねるのが一番いいと思ったから。

(ちなみに新聞とかテレビじゃなくて何で本なのかって言うと、スポンサーに邪魔されない正しい情報が載っている確率が最も高いから。)

 

 

今回はこの本の著者、齋藤孝さんから上手な読書を教えてもらうことにした。

題名からも分かるように彼は

「すぐアウトプットをしなさい!!」

って言ってる。

私もそう思う。入れることは出すこととセットにして初めて効力を発揮するから。

彼とは分かり合える気がした。

 

この度私が身に着けたいと思っていることは

・速読の技術

・自分の知識にする方法

・本から語彙を吸収する方法

 

速読については何回か聞いた事あったけど自分の必要な情報だけをつまみ食いする感じで全体の20%くらいを読む感覚でいいらしい。

1冊当たりの時間は20分程度。全部読まなきゃいけない決まりはないんだなあ。

あとは大事なところを切り取ってファイルに入れる。

外に発信する。

 

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エビングハウス忘却曲線

これは有名な忘却曲線

一回知ったことって忘れるんですよ。

本もそうで、私は今まで読んだ本の内容結構忘れてる。

人に話したり、文字に起こしたり外に発信することで復習をしていきたいなーって思った。

 

・自分の知識にするためにはとりあえず実践することが大切。

それはそう。

あと、身に着けたい分野については一つのジャンルに対して5冊読むことでめっちゃ詳しくなれるらしい。確かに~

 

・語彙力を高めるためには本に書いてあった言葉を意識的に使うこと。

口頭で話している単語をピックアップしたらかなり少ないことに気が付いた。

「やばい」しか使わなくても生きていけるくらい話す単語って少ない。

 

でも本は違って辞書か!っていうくらいいろんな単語が入ってる。

使い慣れない言葉だからこそ意識的に拝借して、表現力を高めていこうと思う。

 

以上!

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」感想

私のとある友人は村上春樹に激怒した。

「なぜいつも終わりがはっきりしないのか!?」

 

村上春樹と言えば人々が中学高校の頃に一度はあこがれて通る道ではないだろうか。

かく言う私も激怒した友人もその道を通った一人で、彼女の場合は物語のはっきりしない終わり方に納得いかず本を地面にたたきつけたそうだ。

 

彼女のような批判意見も時々見受けられる中、私はどうも彼の作品が気に入っている。

それは“作者が物語を考えている”という感じがしないからだ。

村上春樹の小説の場合は“既に存在していた事実をそのまま文字に起こした”

という表現が適切といっていいような自然な話の流れで、その時々で登場人物はそうであるしかないというか正解のうちの正解のようなセリフしか吐かない。

 

言うまでもなく今回の物語もその例外ではなかった。

 

「多崎つくる」は主人公の名前だ。

彼は高校時代に男3人女2人計5人の親友グループに属していた。

高校卒業後、つくる以外の仲間は地元に残り、つくるだけが東京の大学に進学した。

数年間は帰省の度に5人で集まっていたがある時突然つくるはグループから追放されることになる。

訳が分からず人間不信と鬱になり一度死にかけたが何とか生き延びた彼は16年越しにガールフレンドに後押しされその謎を紐解くためにかつての仲間を訪ねていく、という内容だ。

 

訪ねていく中でつくるは冤罪を着せられていたことが分かり、かつての仲間のうちの一人は8年前に何者かによって殺されていた。

 

普通なら、殺された謎が解けて仲間は集まりハッピーエンドという終わり方であるはずだ。

しかし殺された理由も明かされなければ訪ね先での会話の内容もある程度の謎を残したまま物語は終わっていく。

 

私は思うに村上さん自身もその先の答えを知らないのではないか、村上春樹も、登場人物も誰も分からないから書かれていないのではないかと思う。

ここからはあくまで推測だが村上春樹は多分ある一点の時間軸の事実を思いつく、というか知り、そこから過去にさかのぼって本人たちが知り得る事実を埋めていっているのではないだろうか。少なくともこの話においては。

だから彼の作品は自然な感じ、作ったものではないという印象を与えるのではないかなと思う。

 

ところで生きていて日常的に希死念慮にとらわれることがあるという友人が私の周りにいる。

これは寂しいから、とか何が不満だからとかではなく、ただ自分がなかったものとして溶けて消えることができたらいいのに、という感情らしい。

 

人は自分の存在に対する自信が生きるうえでの軸として機能すると思っている。

私の場合だと「母だけは何があっても自分を裏切らない」

という確信が軸として働いている。

 

どんな人にも存在する価値はあると私は思っているが、様々な理由で自分の存在に対する心からの自信を持てない人は時として希死念慮を抱くことがある。

 

今回の話は多崎つくるにとっての軸として働いていたのは5人の存在だったのではないだろうかと思う。

その軸が何の前触れもなく折れた、というよりも消え去ったとき、人は混乱し「死ぬこと」を本気で考えるのかもしれないと思った。

幸せを知らない人が多くの人が不幸と呼ぶような状況で生きることより、幸せを知った人が突然不幸と呼ばれる状況に置かれたときのダメージの方が大きいのだろう。

前者においてでは「消えてもいいな」という感情が後者になると「死ぬべきである」になるのかもしれない。

 

人生というのは本当に人それぞれで何が恵まれていて何が不幸なのかを決めるのは自分の尺度だ。

周りから不幸のレッテルが張られた人でも自信が不満を感じていなければそれは悪いことではないと思う。

ただ、周りから成功者と言われるような人でも自信が満足していないという状況は前者より幸せと呼べるかと言われたらそうとは言えない。

やはり重要なのは自分の尺度だと思う。

 

まとまりに欠ける感想になったがこの本から日頃会話の内容にしないような人生について、いろんな人の人生観があるんだな、ということを知った。

かなり面白かった。

「わたしはすばらしい」と毎日ノートに書きなさい

人生で何かしらの偉業を成し遂げた人に共通していることが一つある。

それは「明確なビジョンを持っている」ということだ。


偉人たちは有名になりたいわけではなく、一つの目的に向かって真っ直ぐに進んだ結果として有名になることが多いように感じる。
最近、私の最も尊敬している人から「あなたは何かしらのビジョンを持つべきだ」
という言葉をもらった。
来年から自分の直感で行きたいと思った会社に晴れて就職をするものの、そこに行って自分はどうなりたいのか、世界をどう変えたいのかと聞かれると口ごもってしまう。

私は偉人になることが人生の最終目標というわけではないが、過去の偉人たちのように自分の人生を悔いなく終わりたいと思っている。

 

そんなわけでこの頃自分のビジョンについて考える時間が増えた。

ビジョン

というカタカナを見るとすでにゲシュタルト崩壊をしているほどには。

 

これはそんな時に出会った本で自分の人生のヒントになればいいなと思って読んだ。

 

 

貧乏人から日本で一番有名なエステティシャンになった人が書いていて、どうやって人生を成功に導いたかを書いてあった。

要するに自己啓発本だ。

自己啓発と聞くと、

「あなたの人生をそのまま送って成功するなら苦労せんわ」

「あなたと私は違うのよ」

という気持ちで読んでしまうことがこれまでは多かったが、かの名著「嫌われる勇気」を読んでからは「課題の分離」について理解ができたから自分の参考にしたいところを受け入れつつ、その人の人生を客観視するつもりでこの手の本を読むようになった。

 

著者、河村京子さん。

沢山参考にしたいことが書いてあった。

 

この本からの一番の収穫は

「言霊の威力は強力で、かなえたいことを文字に起こすことでそれはかなうものになる」

ということ。

 

タイトルの通り、著者は自分にとってプラスのことをノートに書きなさいといっている。

それも事実であるものとして書くことが重要なのだ。

「わたしの人生はうまくいく」

ではなく

「わたしの人生はうまくいっている」

みたいにすでにプラスの状態であるように書くことで「~になるかもしれない」というほかのマイナスな可能性を排除するのだ。

 

大半の人は自分の毎日のタスクをスケジュール帳に書くと思う。

そのタスクが1つや2つだと覚えられるが数が増えるとメモしないだけでは忘れてしまう可能性が出てくる。

それは時間軸を長く見た人生においても同じことで、人生で成し遂げたいこと、どんな些細なことでも自分がなりたい姿は思うだけではなく文字に起こすことで記憶をより一層確かなものにしその後の行動を保証するものとなりうるのだ。

 

 

もう一つ彼女はこの本で重要なことをいっている。

 

「怒りや悲しみ、負の感情に対して”ありがとう”といいなさい」

 

これは本当にその通りの話だ~と無限にうなずいた。

私は世界で「ありがとう」が一番強いと思っている。

 

 

理由をあえてつけるなら”水からの伝言”という本を読んでほしい。

*名勝の水や「ありがとう」等の言葉を見せた水からは綺麗な結晶ができ、水道水や「ばかやろう」等の言葉を見せた水からはいびつな結晶ができるといった、科学的には荒唐無稽な話が写真と共に語られる。(Wikipediaより)

 

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水からの伝言

理系には受け入れがたい話だがありがとうの力を私は信じている。

 

 

選択するのは個人の自由だが、私は人生を明るくしたいので悪口を言いそうになったらありがとうを言おうと思う。

ただ、思っていることをため込むことはストレスになる。相談と悪口をはき違えないでおきたい。

 

この本の大きな柱は上記の通り

・ノートに自分の夢や理想を書く

・ありがとうという

この二つだと思う。

 

文中に「自分自身に使命感を持つことで世界にサーっと自分の進むべき道筋ができる」

という言葉が出てきた。

これは私の今の課題でもあるビジョンを強く持つことに共通することだ。

確かな使命感は人生を迷いのないものにしていくと思う。

自分の中にあるぼんやりと存在しているやりたいことを3月までにはっきりとさせることになると思っている。

この本はビジョンを持ち、それを書き残すことの重要性を教えてくれた。

次はやりたいことについての本を読むと思う。

 

今日はとりあえず新しいノートに

「わたしはすばらしい」

と書いて寝よう。

 

「風の谷のナウシカ」感想

風の谷のナウシカ

 

「これは自然栽培のことを書いている本だと思うんだよね」

と言われたから読んだ。

面白すぎて気づいたら朝4時前、、、最高でした。

ナウシカさん、全然映画の内容と違ったからびっくりした。

巨神兵ナウシカのことをママと言いながら空を飛ぶ描写なんてどこにもなかったぞ、、、

自然栽培との直接のつながりは正直に言いますとまだわかりませんでした。

でも、腐海の役割は地球上の植物とか災害とかと同じで、災いと呼ばれるものは本当はすべて人間の仕業であるという考えにひどく共感した。

お金と地球を天秤にかけていたら、いつか地球にも大海瘴や火の七日間のような日が訪れても不思議じゃない。

 

気になったところをいくつか列挙したいと思う。

 

①土鬼の研究者たちが開発した粘菌(変異体)

・遺伝子をすべて書き換えたかなんかで常温に置いたら爆発的に増殖する粘菌を開発した。

・人間によって制御できるとされていたが結局保存容器を破裂させ、地球を襲う大被害になったが誰も制御方法が分からない

・開発の段階で名誉やお金のことを口々に言う人の姿を強調して描いている

 

理系だからか妙にこのシーンが刺さった。

自分たちが研究している理由は何か?

もし私が聞かれたら迷わず卒論のため、と答えるだろう。研究を始めた動機が受動的だからだ。

研究者という職業だからお金のために開発をする。

目的が名誉やお金になったとき、本質を見失った時、人は取り返しのつかないことに足を踏み入れていることにさえ気が付かなくなるのかもしれない。

実際、現実でも新薬の開発によって新たな病害や副作用が出ることや新技術が地球温暖化を助長していることはざらにある。

本質を見失ってはいけない。何のためにこの作業をしているのか、生きているのか。

目的がはっきりとわからない、誰かがこういったからこう動く、自分の意志はどこかわからない。

そうなったとき本質的な幸せもつかみにくくなると思っている。

 

②皇弟様か忘れたけど闇そのものみたいな存在が死んだときナウシカは見捨てず天国まで導いたシーン

・悪の手先が死んで、魂だけになったとき闇に返すのではなく明るい場所に一緒に行こうといって手を差し出した。

・悪の魂は次第に喜びとやさしさの感情を思い出し、最後は天国に笑いながら飛んで行った。

 

戦隊モノのアニメで敵が死んだとき、闇に葬り去ってヒーローはガッツポーズ、みたいなことになるのが普通だ。

振り返ればちっちゃいころから「悪者はやっつけて地獄におやりなさい」

と無意識に教育されてきた気がする。

 

さいころから「悪者排除は正義」

という感覚を植え付けられるからこそいじめが起こるのではないか?

人間は自分が悪の手先だとおもって他人を排除しようとするのだろうか?

自分が正義だ、と思うからこそ悪者排除(いじめられる人を悪者とする)をするのではないか?

そう思う。

戦隊もののヒーローは割と狂気の沙汰だと思う。

言ってしまえば暴力で当事者視点からの悪者を殺し、視聴者に喜びの強要をしているようなものだ。

世界がナウシカのように、憎しみも傲りもない愛をもって他者と接しようと思ったらいいのになあ。

 

圧倒的蛇足ですが、テレビが決めた悪者を視聴者も悪者だと思うあたり、日常生活にも似た現象が起きていると思っている。

「みんなの嫌われ者だから」「人を傷つけたことのある人だからあなたも距離を置いた方がいいよ。」

と言われると本当に腹が立つ。打ちながら腹が立ってきた。

その人の価値を他人からの評価で決めることは自分自身が流されることになる。

怒った気持ちを落ち着けて、言いたいことは合わない人はいると思うが他者が決めつけた悪者とは何なのだろう、、、?

強くなりたい。

 

③最後のナウシカのセリフ。

 

シュワの墓場に行き、墓場の内部にあった先人が残した「未来人を生み出し平和な世界を作るためにプログラミングされた装置」(*現代人は滅びるように設定されている)をナウシカは発見した。

無慈悲に定められた未来を歩く必要はないといって巨神兵を使って装置を破壊し、未来人のものとなるはずだった血の海を見て思ったセリフ

ナウシカ「オウムと同じ真っ青な血、、、」驚いたような悲しいような顔

森の住人セルム「これは二人だけの秘密ですよ」

 

え、ここで終わるんかい

 

何を思ったのかご想像におまかせといったところのように思えたので考えてみました。

 

オウムと同じ真っ青な血、、、

未来人はオウムと同じ血ということは浄化された現代人が住めなくなった地にはオウムも住めるということになる、、

青い血を流す生き物はすべて先人が作り上げたものたちだ。

先人がプログラミングしていた平和な未来とはもはや自然が作り出した生き物はいない人工生物の楽園だったのか、、、

 

でも、オウムが人造生物と知る人は少ないのでセルムが「2人の秘密」といったのか?

 

もっと深いわけもありそうだなと思う。

また読む機会はきっとあると思う。大傑作でした。

「不都合な真実」感想

更新がすっかり遅くなってしまった~

 

アル・ゴア(元米副大統領)が書いた地球温暖化による地球滅亡を警鐘している本で、私は沈黙の春と同レベルの名著だと思っている。

10年以上前に書かれた本だが今の地球温暖化の問題とほとんど合致している内容が多いから人類は皆読んで損はないと思う。

 

地球温暖化についてたまにというか結構

地球温暖化が本当に起こっているのか実際は怪しい」

地球温暖化と騒いでいるが、地球の周期的な気候変動の一種で人類がこれに関与しているとは断定できない」

という言葉を耳にしていた。 

 

自分が地球に住んでいて年々気温がおかしな感じになっているのは感づいていたので温暖化の原因が人間活動だということに関しては全く疑っていなかった。

冷静に考えたら人間活動が地球温暖化の要因であることは間違いないように思えていたがなぜこのような疑いが生まれるのか私は不思議でならなかった。

でもこの本を読んだら答えは簡単なことだったと驚いた。

 

「疑いは生まれたのではなく生んだ」

 

地球温暖化防止活動を積極的に行わない理由づけのために作られた”疑い”だったわけで大企業がこの疑いを作り出す「ロイビスト」と呼ばれる役職まで配置して積極的に疑いを生んでいるのが現実だと書いてあった(元副大統領の証言だから間違いない)。

 

疑いを生んだという根拠を簡単にまとめると

*1995~2005の10年間に出された地球温暖化に関する論文数928

そのうち温暖化の原因を疑う論文の割合:0%

*米国の過去14年間に新聞に掲載された温暖化に関する記事636

そのうち人間活動が温暖化の原因であることを疑う記事:53%

地球とお金を天秤にかけてお金を選ぼうとしているのか!!

宇宙に!お金だけ!浮いていても何の価値もないぞ!!という気持ちである。

 

”揺るがない真実には疑いが有効である”

と、はるか昔にたばこ会社の社長がタバコが癌の原因になるといえるのかと言って世界を混乱させたという事例があるけれど同じことが起きていると思う。

 

この本が書かれたのはだいぶ前なので今はSDGsの考えも広がって少しずつ地球を大切にしようという風潮が世界に広がり始めている。

”環境に優しいことはお金にもなる”と言うように

環境の改善、持続可能な企業づくりこそが経済面の利潤につながる時代になりつつある。

しかし日本はまだまだ地球温暖化への向き合いが他国と比べても進んでいない。

この本を読んで宇宙人の宝庫の就職先から日本を育てるタネを蒔きたいと思った。

 

 

本の感想は前に読んだからこんなもんですがせっかくなので就職に対して考えていることを書きます。

みんながしているように就活をしなかった分、企業研究もろくにしないまま、自分の進みたい道を具体化し続けてたまたま出会った会社に就職することになったわけですが、つまり無知なのであります。

就活で周りが知る情報を知らないわけだから後日勉強しようと思っても研究を今は頑張りたいし、とか思って行動に移せていない。

就職のあれこれというより、社会、経済、政治を知りたいという考えもあってどの情報を優先的に仕入れるべきかわからなくて落ち着きませぬ。

何かアドバイスお待ちしております。

 

 

最近、ドМなので実験が楽しくなってきた。何も結果は出てないけど、あの時先生がテーマ変えてくれてよかったとまで思う。

卒業までに何回か泣くとは思うけど師匠に負けないように頑張りたい。

感想書ききれなかったまとめ①

感想書く時間不足だった本たちの天国

 

1.タネが危ない

種子法の廃止、種苗法の改定が国会で大した議論もされないまま決定したことを知ってから読みました。

タネの歴史と今がなぜタネを買う時代になったのかが書いてあった。

雄性不稔の個体をF1種子を作るために利用していることが多いけど、ミトコンドリア異常個体を大量生産しているわけで、現代の男性の精子の数が激減していることと関係があるような気がしている。

 

2.タネはどうなる!?

似たような題名(笑)

内容はこっちの方が政治のタブーについてがっつり触れていたような気がする。

非情に非常に勉強になりました。

種子法が日本にあるタネを守る法律で、それが国会の数時間の議論で廃止になってしまい、そのことで大手海外種苗メーカーの参入がいかに簡単になってしまったのかを書いてあった。

この本を読んでほんの一部だけど政治の話を知ってもっと勉強したいと思った。

 

 3.聖なる予言(ジェームズ・レッドフィールド)

沢山感想はあるけど頭にとどめるのが丁度いい気がする。

”偶然の一致”は人生において重要な役割を果たすっていうことは覚えておきたいと思った。小説として読むかどうかは読者の考えにゆだねられる本だと思う。

今後、この本のことを思い出すことは増えるだろうなという気がしている。

 

4.イリュージョン(リチャード・バック

村上龍が和訳しているバージョンがどうしても読みたくて読んだ。

傑作だった。とにかく小麦畑に吹く夏の風っていう感じ。

”夏”という言葉の使い方が村上龍って感じだった。

すぐ読めるのでおすすめ。

村上龍「限りなく透明に近いブルー」読後感想

久しぶりに小説を読んだ。

何か聞いた事ある題名だったので図書館で借りて読んでみた。

題名からして心洗われるきれいなお話なんだろうなあて思っていたけど全然違いました。

薬とお酒と性に溺れてラリって自分が分からなくなって死んでもいいって感じの話だった。

 

しかしながら描写がリアルなのです。とっても

主人公が”リュウ”なんですけどたぶん著者の村上龍さんの実話なんじゃないんでしょうか…

19歳で薬物中毒になっても昔は警察も助けてくれなかったんだろうなあ

 

 

夢を見る時ってわけがわからないことも筋が通っているような気持ちになったり、空を飛んだり魔法を使ったり、現実では起こり得ないことが起こるけど、それが現実での自分の意識の中で起きていて、妄想と靄のかかったような視界の奥での現実の出来事が遠く響いているのがほんとにそのまま描かれていた。

結構グロい描写が多くて受け付けられないところもあったけど、村上春樹風の歌を聴けとか、伊坂幸太郎の砂漠的な空気が流れていて個人的にこの空気感が好きだった。

くすんだ灰色と茶色と黄土色が混ざった冷たい風の匂いがするような小説がタイプなので内容はともあれ好きでした。

読み終わった後不思議とすっきりしたなあ

あんなに気持ち悪かった中盤が嘘のようです。

 

車校の卒検を受けて落ちたと悟ってからの1時間半の待ち時間の間にほとんどを読んだからいろんな意味で超具合が悪かった。

坂道発進をしようとしたら思いがけず別の車が先にいて途中で止まって待っているときに次どうしたらいいかわからなくなってギア2に入れたままエンストして30センチ以上後ろに下った×2回をしてどうして合格できたのか不思議でなりません。

そんな話は良いのです。泣

 

ネットでのほかの人の感想が気になる作品だったなー。

何が評価されているんだろう。薬物中毒の人の気持ちになるにはもってこいだけどどうして有名な作品なのかは経験が浅いからか謎でした。

 

 

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レビューを見てみたけど

限りなく透明に近い(ほぼ空っぽ)

なブルー(青春時代)

という解釈があってなるほどなという感じだった

読むなら苦しくても最後まで読むことをお勧めします。

最後に何も変わっていないけれど本の中で涼しい風が吹きました。